たきの日常

それでもなぜまた海外に行きたいのか。

たき
たき
こんにちは。

今日は、友人と通話していろいろ考えたことを殴り書きしました。

皆さんは、なんで海外に行きたいですか。

友人にそれでもなぜまた海外に行きたいかと聞かれて考えてみた。

「あんなに素晴らしい国なのに、なんでまた海外いきたいと思うの?」

語学学校であってその後、時間がたった後も友人のアルゼンチン出身の友人が私に聞いた。

彼女は現在、コロンビア人の彼氏とオーストラリアに住んでいる。

スペイン語圏同士ではあるが、違う国出身同士で彼女の兄もオーストラリアにいるので

オーストラリア暮らしがちょうどいいらしい。

そんなカップルの2人は、

昨年日本に旅行にきて清潔さ、治安、旅行中のホスピタリティーなどに

大変感動して、絶対また行きたいと話し、実際に日本に訪れたことで

何年にもわたって試行錯誤しながらオーストラリアにいようとする私が不思議でならなくなったと話してくれた。

今、成り行き的ではあるけれど日本で暮らし、日本語が話すことができ、治安もよく、家族もいるのに

なんでまた住みたいのか。

そのときはパッと適当(!?)に話したけれど、

話してなんでそう思ったのだろう、と考えてちょっと残しておこうと思いました。

瞬間に思ったことは感覚でそう思ったことなはず。

実際はこれだけという理由は難しいけれど、

  1. 自分を犠牲にしすぎず、自己肯定感高めですごせる
  2. 地震の心配がない

という2点をあげた。

でも後で考えたら、

たらこや白米のクオリティーが高くごはんに不自由していない生活に慣れ、

日本生活の価値を軽視しているかもしれないのでその辺は割愛しつつ、笑

自分のそう話した理由について考えてみます。

自分を犠牲にしすぎず、自己肯定感高めですごせる

オーストラリアで過ごして

自分の正解は自分で決めていいと思えるきっかけになった。

日本と空気感が違う。

あくまで私にとってだけど、日本ではこういう形が【正解】だと思われる形があると

自分では思っていて、

自分の理想がそれと違っても、なんだかんだ人の目を気にしてその【正解】に

近づきたいと思ってしまう。というような自分がいた。

それがオーストラリアに住んでいたときは、

個人それぞれの理想が全然違うし、相手が何をやっているか聞くけれど

ある意味距離があるというか、相手は相手、自分は自分というところがある。

なので、逆にどんな感じでもありだな、と気楽になれたことが大きかったかもしれない。

これはいわゆるオーストラリア人だけとの交流から思ったわけでなく、

他民族国家、移民国家だから、まずバックグラウンドが違う人が多いので

育ってきた背景が全然違ったり、また移住してくる人もいて

これが唯一の道というのがないのが逆に過ごしやすいのかもしれなかった。

現在は自分の意見を大切してもよいこと、また年月のおかげか海外生活のおかげか

自己肯定感が高まったので、

たとえ日本にいても、そういうことでは悩む可能性は低くなったかな。

今は能力の高さと魅力というのは多方面にあると考えていて、

例えば車の運転がうまい、とか、掃除の能力が高いとか、料理がうまいとか、

違うフィールドにいれば違うスペシャリストがいて学ぶことが多いのに

変に自分が狭い世界しか見ていなかったことがいけなかったかなと思います。

オンリーワンかつ、ナンバーワン。だけれど、そのオンリーワン×ナンバーワンになれる分野が

なんでもいいじゃん、というよう感じですかね。

多文化共生がもとにあるから、一つの文化の正しいが絶対にならない。

そんな空気感がよい。

とはいえスパっとまとまらない理由は①結論 ②理由はこれです!!ってバシっと

即答できないからで、感覚としてはだらだらと今、話したようなぼんやりとした

空気感のまとめを自分が感じているからでしょうか。(日本語)

そして日本だとなんか頑張らないとダメと強迫観念もっちゃうからですかね。

オーストラリアにいたら頑張らなくていいわけではないんだけど

頑張るということの動機の源が他からの圧力からか、自分からきているからかが違ったのかな。

地震の心配がない

二つ目の地震については、そのまんまですね。

地震怖いってなに?って思う人もいるかもれしませんが、3.11の時に

不安に思った記憶がありそれが残っています。

【自分を犠牲にしすぎず、自己肯定感高めで生きれる】というのはある程度

時間がたったり、職業の選択をミスらなければどこの国にいても結局は

よいじゃない、というところは確かにある。

だから今のキモの座り具合なら日本でも楽しく過ごせる可能性もある。

ただ地震が自分が再留学するきっかけになったから、地震に対して

想いの記憶が強いのかなと思いました。

私が短期留学をはじめてしたのは2010年からで、

3.11の後の時はオーストラリアにいて、3.13に日本にかえって来ました。

その時東京に、帰国後最初の数日の余震の揺れで家の鏡が割れたことを覚えている。(それがどうした。)

東京で一人が怖くて地元に戻ってきたら、

地元でもわりかし大きめの地震がおき、東海大震災の防災訓練を幼い頃からしていたので

3.11をみた後は余計、地震=生死にかかわるイベントという気持ちになっていて

「ここで終わるより、やっぱりもっと他の世界をみたい。」

と思ったこと

また本当に日本にいて安全なのか?と考えていたことが記憶にあります。

また帰国後すぐだったので、

地震の時あんな様子でも出勤して働いているという人たちがいて、

もちろん人それぞれ事情があるのだけれど、オーストラリアに行った直後で

パートナーが骨折したからでも有給がとれる環境をみてきて、

自分に危険があっても出社しなければいけないという労働環境に

なんかこわい!?と思ってしまいました。

また「直ちに影響はない。」発言にも疑心暗鬼になって

帰ってきた直後は東京にいましたが、大人は大丈夫だけれど

子供か乳幼児は水道水を飲まない方がいいという

放送があったのを覚えていて、それってどのように大丈夫なの?と思った記憶もあります。

でも今後も、どの国にいても、絶対安全はないし、不安なことはあると思う。

そういったときに、住める可能性がある国が1つ以上のほうが不安がないと今でも思ってしまう。

だから住める国を増やしたいという思いもあるし、

数十年単位の未来を日本で過ごすと

絶対大規模なり小規模なり地震は避けれないので、

原発と地震について自分でかなり知識を深めて安心度を高めない限り

ずっと変な怖さが残ってしまうと思う。

あの時あんな思いで怖いと思ったのに、それは月日がたったらよいことにしてしまうの?と。

もし仮に日本に住んでも、

ずっと日本だと思うと数十年後に地震にあうと想像することが怖いけれど

他に住める場所があると、その数十年後に日本にいるかどうかわからないので

今日本にいる自分の恐怖心をやわらげるシステムです。

だから日本がたとえ好きでも他の選択肢があったほうが

気持ちが落ちつくのは変わりないのです。

地震、そんなに怖がらなくていいよ、こんな資料があるから!

という私の地震に対するこのネガティブ思考を変えてくれる教材をお持ちの方

絶賛大募集中です🙇!!

もっと深堀すればこれだけないけれど、今日はこの2つ。

それにしても、地震に対して書きだすとやっぱりたくさん思うところがあって

驚きました。

でも、言語化できるものだけがすべてじゃないのよ。

全部の理由をあんまりうまく説明できないなと思ったけれど、

それでもそう思うという感覚も大事だと思いました。

\ おしまい /